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プロフィール

はじめまして、かなです。

私は今、在宅でWebマーケターとして活動しています。

きっかけは、月収300万円を自動で稼ぐ起業家と出会ったこと。

弟子入り志願したことで、
平凡な事務OLから生活が一変しました。


私が師匠から学んだビジネスモデルは、
マーケティングとウェブを活用することで
自分が働かなくても自動で売り上げが立つ仕組み
ネット上に構築する、というもの。

この仕組みによって、私の師匠はもう5年以上
毎月300万円ほどを自動で稼ぎ続けています。

それによって、

・好きな時間に起きてカフェでブランチしながら仕事をしたり
・平日の昼間にほぼ貸切状態の映画館で映画を観たり
・思い立ったタイミングでふらっと遠出したり
・本や漫画を一日中読みふけったり

会社という組織に縛られず、
時間に追われることもない

私の理想とするライフスタイルを実現しています。


「怪しい…」

って思いますか?

私も、最初は意味がわかりませんでした。

「自動ってどういうこと?詐欺じゃないの?」

って(笑)


私はもともと、「雇われる」以外の働き方を
考えたことは一度もありませんでした。

自分とは縁のないことだと思っていたし、
「自分なんかにそんな『特別な』働き方ができるわけがない」
とはなから選択肢から外していたんです。

だから、インターネットビジネスに関する知識も皆無でした。

ブログはおろか
TwitterもInstagramもFacebookもやったことがなく、
「SNSって何?どれがSNS?」という状態。

そこから
WordPressを立ち上げ、メルマガスタンドを設置し、Twitterのアカウントを開設し、
師匠から知識を学んで吸収していった結果
Webマーケターとして活動できるまでになりました。


「ビジネスは知識ゲー
 
 知っているか、知らないか
 ただそれだけ

 正しい知識を学んで実践すれば、誰にでもできる」


私が師匠から言われた言葉です。

「そうは言ってもやっぱり才能やセンスが必要じゃないの?」

と最初はちょっぴり疑っていました。

でも、学べば学ぶほど、
師匠の言葉を実感しています。

ビジネスにはすべて「型」があります。

その型を学んで実践していけば、
ちゃんと結果として返ってくる。

学んだ分だけお客さんに価値を
提供できて、喜んでもらえる。

それが分かっているから、
私は知識に惜しまず投資しています。



今でこそ、ビジネスを始めたことで
日々自分の成長を感じられて
張りのある毎日を過ごしていますが、

もともと幼少期からずっと
生きづらさを抱えていました。

家では親の顔色をうかがい、
学校では集団生活に馴染めず

自己否定感が強くて
生きることが楽しいと思えない。

それは、社会人になってからも変わりませんでした。

・満員電車で小競り合いがあるとしんどくて耳を塞いでしまう
・複数の業務を同時に頼まれると強いストレスを感じる
・ミーティングやグループワークにプレッシャーを感じる
・同僚や上司の些細なひと言や態度で気持ちが沈む
・雑談程度の会話でも自分の発言で不快な思いをさせなかったか気にしてしまう
・考えすぎて夜に眠れなくなる
・心身ともに疲弊して動けなくなる
・土日のために平日を頑張るけど、土日は秒で終わる

でも
「みんな社会人として当たり前に我慢していることなのに、
 これくらいで辛いなんて単なる甘えだよね…。
 私って本当にダメな人間だな」

と、自分を否定して、
我慢して我慢して、日々を過ごしてきました。

本音では会社を辞めたいけど、
辞めたら収入がなくなってしまう。

だから、しがみつくしかない。


きっと、こうやって苦しんでいる人
本当はたくさんいるんじゃないかなって思うんです。


私はずっとずっと苦しかったです。
でも、そういうものなんだって諦めていました。
だって、他の生き方を知らなかったから。


だから私は、

自分に合わない環境に無理して合わせようとして、
うまくできずに自分を否定してしまっている人を減らしたい

たった一度きりの人生を
自分らしく生きたいように生きられる人を増やしたい

そんな思いで、ブログやメルマガで発信しています。


ほんの少し前までは
会社員以外の働き方を考えたこともなかった
冒険心の欠片もない私が、

なぜ400万円のコンサル料を払ってまで起業家に弟子入りし、
(送金ボタンを押すときスマホを持つ手が震えました笑)

怪しいと思っていたビジネスの世界に足を踏み入れたのか…

そこに至る過程を少しだけお話ししていきますね。


もし今あなたが、いろんなことを我慢して
感情を押し殺して生きているなら

私の物語が少しでも、
あなたの希望に繋がればいいなと思っているので

ぜひ最後まで目を通してみてください。


ーーーかなの物語ーーー

目次

家にも学校にも居場所がなかった幼少期

「いつ死んでもいいや」

そう思っていました。

本気で死にたいわけじゃなくて、
ただ生きることに希望を持てなくて

「痛くも苦しくもない死に方があれば
 別にいつ死んでもいいや」

そんな風に考えていました。


私は人見知りで引っ込み思案な子どもでした。

親戚の集まりではうまく挨拶できなかったり、
何を話していいか分からず黙り込んでしまったり。

そのたび、母親にきつく叱られていました。

「なんでできないの」
「本当にダメだね」
「嫌なヤツ」

母は人格否定をするタイプの人だったので、
何か言われるのが怖くて
いつも顔色を窺っていました。

「いま機嫌悪い?」
と何度も聞きすぎて
「だから悪くないってば!」
と怒られることもあったくらい。


ある日、私がとても大切にしていた
お気に入りのぬいぐるみが、
なくなってしまったことがありました。

押し入れやタンスを一つ一つ何度も確かめて、
部屋中を探し回っても出てこない。

懸命にぬいぐるみを探す私を、父も母も知らぬふり。

「どこかに置いてきてしまったのかもしれない。
 私ってなんでこんなにダメなんだろう。
 大好きな、大切な子だったのに」

泣きながら、そう自分を責めました。


でも本当は、母親がこっそり捨てていたんです。
汚れていたから、と。


それを知ったときの怒り・悔しさ・悲しみ・絶望。

いろんな感情がぐるぐる胸の内でとぐろを巻いて、
でも結局何も言えずに、
その感情を飲み込みました。


多分その頃から、感情をごまかす癖が付いたんだと思います。


当時、喧嘩が多かった両親が大声で言い合いをするたびに
テーブルの下で小さく縮こまって耳を塞いで、

「消えてしまいたい」

と思っていました。



コミュニケーションが下手だった私は、
学校でもクラスメイトから嫌われていました。

授業のグループ分けで最後まで誘ってもらえなかったり
あからさまに同じグループになるのが嫌だと態度に出されたり。

今でも忘れられない一番ショックだったこと。

それは、仲が良いと思っていた子が
「あの子のこと、みんな好きじゃないよ。
 私もそうだし」
と影で話しているのを聞いてしまったことです。

とても辛くて、悲しかったです。

でも同時に「やっぱり」とも思いました。

やっぱり私ってダメなんだ、って。

その子はいつも堂々としていて、誰とでも仲良くなれて、私の憧れでした。

そんな子にも嫌われるほど、
よほど私は何かおかしいんだろうと思ったんです。


(仲良くしてくれるだけでもありがたいと思わなきゃ。
 だって、悪いのは私なんだから)


そうして私はまた、自分の心に蓋をしました。



そんな家にも学校にも居場所がなかった私が
自分らしくいられたのは、

本やマンガを読む時間。

空想の世界でなら、何者にでもなれたから。


それから、動物と過ごす時間。

動物が相手だと、顔色をうかがわなくて済むから。

何か気に触ることをしてないかな、と気にしなくて済む。
気を遣わずに、ただ一緒にいられる。

近所のノラ猫と触れ合う時間は、
確かに「幸せ」を感じさせてくれました。



私=ダメなやつ
生きること=苦しいこと

それが当たり前の価値観で、
空想の世界と動物との触れ合いが救いだった

そんな切ない幼少期でした。

人生を諦めていた社会人生活

中学、高校、大学と進むにつれて、

どうにか自分を変えたくて、
コミュニケーションや心の本を何十冊も読んだり
こうなりたいなと思う人をお手本にしてみたり

「取り繕う」のだけは上手くなっているような、そんな感覚。


「かなはいつもニコニコしていて、悩みとかなさそう」

そんな風に言われたこともあります。


でも、
どれだけ周りの人と仲良くできるようになっても
親友と呼べる存在ができても

一皮むけば「ダメな自分」がいて、
ふとした瞬間に消えたくなる

社会人になってからも
その生きづらさは変わりませんでした。


朝の満員電車、同時進行の業務、人が密集したオフィス、雑談、ミーティング、突発的な要求、上司の怒鳴り声、誰のためにもならない仕事のための仕事


そのすべてがプレッシャーでストレスでした。

でも、それが人生だと諦めていました。

子どもの頃から「生きることは苦しいこと」が当たり前だったから。



そんな私が、
ビジネスの世界に足を踏み入れる前に一度、
会社を離れることを考えたことがあります。

コロナによる変化がきっかけでした。

1日の出社人数を制限するために、
リモートワークが導入されたときのこと。

「やっていることは同じなのに、
 リモートというだけでこんなにストレスフリーなんだ」

気持ちがふわっと軽くなったのを覚えています。

自分だけの空間で、人に会わずに、自分のペースで仕事ができる。

とても快適でした。


コロナが落ち着くと元に戻ってしまったのですが、
リモートワークの良さを実感していた私は
仕事を変えることが頭をよぎりました。

でも、

アラフォーで、特別なスキルも、経験も、強みもない

そんな私が、今さらここ以外でやっていけるのか?

いろんな言い訳を考えて、

「普通に生きていく分には十分なお給料をもらっているし」
「世の中には仕事がなくて苦労している人もいるんだから」

と、無理やりに自分を納得させて

チャレンジすることから逃げて諦めたんです。


自分に価値なんて感じられたことがない。

人生の目標もやりたいことも
何もない


そんな、からっぽだった私の目を醒まさせたもの

それは、今まで生きてきた中で
何より後悔することになるできごとでした。

うさぎの死

私は、一年前までうさぎと暮らしていました。

出会いは公園。
会社帰り、公園に捨てられていたのを
連れて帰ったのが始まりです。

部屋を走り回ったりベットに飛び乗ったり、
私の膝の上で寝ることと撫でられることが大好きな、
元気で甘えん坊な子でした。

歳を取るにつれて、
走るスピードが遅くなり、
ベットの上に飛び乗ることもなくなり。

晩年は目が白濁して見えなくなり、
ご飯は柔らかいものだけ。

膝の上に上がるのもやっとこさで、
隣にピッタリとくっついて寝ることが増えました。

体調を崩す頻度がだんだんと増え、
自分で食べないときは強制給餌をしていました。

平日の日中は仕事のため、朝にご飯をあげ、
帰宅してすぐにご飯をあげ、寝る前にまたご飯をあげる。

会社に行くときは、帰ったときに元気でいるかいつも心配でした。


ある朝、また調子を崩していることがありました。

すぐに病院に連れて行きたかった。

でもその日は月末最終日で、
急な休みが難しいタイミングでした。

心配だけど、
「これまでに何度もあったことだから今回も大丈夫」
そう自分に言い聞かせて、会社に行きました。


定時ピッタリに上がって急いで帰宅すると、
あきらかに様子がおかしい。
今まで見たことがないほどぐったりしている。

すぐに病院に連れて行きましたが
先生もできることは少なく、
覚悟をした方がいいと言われました。

不安で不安で、帰りの電車でも泣いていました。


家に着いてキャリーケージを開けると、
倒れて薄目を開けたまま
ピクリとも動かないその子がいました



ショックで、信じられなくて。

でもその子を抱いたら、
今まで感じたことのない感触に死を実感して、
声を上げて泣きました


会社なんて行かずにとっとと病院に行けばよかった。
そうしたら、まだ一緒にいられたかもしれない。

ダメだったとしても、
ちゃんと看取ってあげられたかもしれない。

苦しんでいる中、
真っ暗な小さいカゴの中で逝かせてしまった。

撫でられるのが好きだったから、
最後は撫でてあげたかったのに。

具合が悪くなったときに、すぐに病院に連れていけば


後悔が頭の中を駆けめぐりました。


もう二度と、

ご飯を食べる姿を眺めることも

撫でてと要求されることも

一緒に昼寝することも

可愛らしい仕草を見ることも


もう二度とない


その子を亡くした悲しみと、大きな後悔とで
涙が止まりませんでした。


それからしばらく経ったある日、夢を見たんです。

その子はまだ元気にしていて、
夢の中で私は思いました。

「ああ、ここはこの子が元気な世界線なんだ。
 この世界線の私は何が違ったんだろう。
 どうしていれば、まだこの子は生きていたんだろう」


お世話になった先生は
「今まで何度も危ないと思うことがあったけど、
 ここまで長生きできた。
 よく頑張ったと思います」
と言ってくれたけど

あの日あのとき仕事を優先してしまった

その後悔は、この先ずっと消えることはないと思います。


その後の私を襲ったのは、
体に影響が出るほどのペットロスでした。

ペットロス、そして目が醒める

急な目眩や耳鳴り、ひどいときには過呼吸を起こす。


そんな状態で出社することが怖くて
医者の診断書を持って会社に相談したところ

私の業務はパソコンだけで完結するものだったので
一時的にリモートワークを許可してもらえました。


ただ、毎週毎週いつ頃復帰できそうか聞かれる。


来週には出社できそうか?
再来週は?
大体の目安は?


(そんなの、こっちが聞きたいよ…!)


ただでさえしんどいのに、
会社からのプレッシャーで心が押しつぶされそうでした。


ちゃんと自分の分の仕事はこなせている。
誰にも迷惑はかけていない。

それなのに「出社できない」というだけで責められる。


結局、2ヶ月ほどで出社を再開した日の朝

満員電車に揺られながら

ふと

この生活をあと30年も続けていくのか

とゾッとしたんです。



私にとって仕事は、ただただ生きていくためのものでした。

私の両親は

「仕事は楽しくなくて当たり前。
 楽しくないことをするからお金をもらえる」

という考えの人たちで、私もそう思い込んでいました。


でも、
私はそもそも仕事以前に、生きることが楽しくなかった


以前、生まれ変わって来世を生きている夢を見たことがあって
また人間だったのですが、

「ああ、また人として生きていかなきゃいけないんだ」

って絶望したんですよね。夢なのに。

どれだけ生きたくないんだって話ですよ(笑)


安楽死が認められている国で施術を受けるための条件を調べたり
痛みや苦しみがなるべくない自殺の方法を調べたり
したこともありました。

本当に死にたかったわけじゃなくて、

「死のうと思えば、いつでも死ねるんだ」

という安心感がほしかったんです。

そう思うことで、がんばれる気がしたから。


生きるための仕事なのに、そもそも生きることが苦しい。

そんな、しくもない人生を生きるために
楽しくもない仕事をする。


あげく
自分にとって本当に大切な存在すら守れなかった


そんな私の人生って、いったい何なんだろう。



そこからフツフツと、心の奥に押し込んで、
なかったことにしていた思いが湧き上がってくるのを感じました。


生きることが楽しいって心から思ってみたい

自分でも人の役に立てるんだって感じたい

我慢するのが当たり前なんて嫌


私は、私の人生を諦めたくない

インターネットビジネスと師匠との出会い

思い立って

「在宅 仕事」

と検索。

私の目に飛び込んできたブログは、
私の「仕事」に対する価値観を一変させるものでした。

・パソコン1代で月収300万
・仕組み化で、労働せずに収益が上がる


「あ、怪しい~…!」

って思いました、最初はやっぱり。


でも、もともと私と同じ普通の会社員で
ブログもSNSもやったことのなかった女性が
ゼロから起業して生計を立てている

それが私には、希望に思えたんです。


YouTubeも覗いてみたら、
そこで解説されている仕組みの内容は
ちゃんと筋が通っていて

デタラメな理論や詐欺まがいの方法で
稼いでいるのではない

ということも分かりました。


ビジネスにはすべて型があって
その型を学んで型通りに実践していけば
誰でも稼ぐことができる

才能やセンスは関係ない

正しい知識を知っているか、知らないか

完全なる情報戦だから、
学んだもの勝ち。


そんな話を聞きながら
彼女が叶えている自由な生き方を知れば知るほど
いてもたってもいられなくなりました。

働く場所
働く時間
1日の過ごし方
付き合う相手

すべて自分で選ぶことができる。

お客様に「ありがとう」と感謝してもらえて
誰かの人生を変えるお手伝いができる。

面白くてやりがいがあって人生が楽しい。



私はそれまで

働く場所も時間も会社のルールに縛られて

プライベートも仕事を中心に
スケジュールを組まないといけなくて

日曜日の夜はいつも心が重たくて
平日は朝から憂鬱な気分でスタート

仕事にも人生にも意義を見出せない。


そんな私とは真逆の生活を
送っている人がいることを知って

私もその世界に行ってみたい…!

そう強く思ったんです。


その勢いのまま彼女のメルマガに登録して
感想を送ったところ、
なんと懇親会へのお誘いのメールが…!

SNSすらやったことがなかったので、
オフ会?のような集まりに行ったことなんて
もちろんありません。

(私なんかが参加して大丈夫かな
 場違いだったら、どうしよう)

そんな不安が胸をかすめました。

でも、

「すでに成功している人と
 直接会って話を聞けるなんて
 こんな機会、もう二度とないかもしない」

そう思って「えいやっ」と参加の返事を送り、

当日は緊張と期待で胸を膨らませながら
会場へ。

それが、師匠との出会いでした。

「死」が心の支えだった日々から「今」を楽しむ生活へ

私が働き方を変えようと決意したとき
転職ではなく起業という道を選んだのは、

「会社に雇われる」という立場では
自分の生きづらさを解消することはできない

そう思ったからです。


時間や場所、どう働かくか、何をするかの
主導権を会社に奪われて、

会社からの評価に怯えて
上司や同僚の顔色をうかがって。

休みたくても休めないし、
住みたい場所にも住めない。

納得のいかないことでもやらなきゃいけないし、
いざという時に自分の大切な存在を優先することもできない。


親のルール、学校のルール、会社のルール、世間の常識

いろんなものに縛られて、

それに合わせようとして疲弊して
うまくできない自分を責める。

そんな日々から抜け出したかったから。

お金はどうしたって必要だけど
会社員だけが選択肢じゃありません。

会社員時代よりも大きな収入を得ながら
経済的にだけじゃなく
時間的な自由も得ることができる。

自分の人生を自分でコントロールできる


そんな生き方に出会えたとき、
真っ暗だったトンネルに
ひとすじの光が差したような気がしました。


会社員としての働き方しか
知らなかったときは、

「この生きづらさと
 一生付き合っていくしかないんだ」

と絶望していたし、

だからこそ、楽に死ぬ方法を探して
「いつでも死ぬる」と思うことで
その絶望をやり過ごそうとしていました。

でも

「仕事は楽しくなくて当たり前」
「生きることは苦しくて当たり前」
「これくらい我慢して当たり前」

そんな「当たり前」を捨てて

生きたいように生きよう

そう決意したとき、私の人生は
少しずつ好転をはじめました。


漫然と過ごしていた日常が
すべて学びの時間になったし、

学んだことを発信することで
誰かの役に立てるというのが、すごく嬉しい。


私は今37歳。

もっと自由な生き方があるんだよ
と気づくのに37年もかかって、
気づくために大きな後悔も抱えることになった。

もっと早くビジネスに出会いたかった
という思いもある反面、

きっと今の私だから、ビジネスをしようと
決意できたんだろうなとも思う。


ビジネスと、師匠と出会って
人生に希望を持つことができたから

今度は私が、同じように悩んでいる人に
希望を届けられる人になりたい。


そのために今は、とにかく学んで、実践して、学んで、実践しての繰り返し。


仕事のための仕事をしていたときとは違って、
学んだことがちゃんと自分の糧になっていることを実感できる。

誰のためにもならない仕事ではなくて、
自分の学びと実践がそのまま価値提供に繋がる。

尊敬できる師匠
一緒に頑張れる仲間
私の発信に共感してくれる人との出会い。

自分の望む人生に確かに向かっているという
ワクワクした気持ち。


すべて、ビジネスを始めたから得られたことです。


勇気を出してこの世界に飛び込んでよかった

そう心から思っています。


ーーーかなの物語 終わりーーー

一度きりの人生を生きたいように生きる

私が情報発信をしているのは、

たった一度きりの人生を
自分らしく、生きたいように生きる

そんな人を増やしたいからです。


ここまで読んでくださっている方は、
きっと心のどこかで

何かを我慢していたり、諦めていたり

「このままでいいのかな」

と感じているんじゃないかと思うんです。


そして、そんな日々を変えたいと思ったから、
ここにたどり着いてくれたんだと思います。


我慢して、諦めて、
自分の気持ちを押し殺して生きるのは
苦しいです。


私はそれで、ずっとずっと
生きづらさを抱えて生きてきたから

誰かの望む生き方じゃなくて
誰かに押し付けられた生き方じゃなくて

自分が生きたいように生きることが
何より大事だと思っています。


そして、
これを読んでくださってるあなたの
「生きたいように生きる」
を叶えるために、私は発信しています。


死を選択してもしなくても、
死ぬときは必ずやってきます。

どうせいつか死ぬのなら、
その死ぬまでの生を我慢や諦めで
過ごすのはもったいないです。


一度きりの人生です


その一度きりを
あなたはどんなふうに送りたいですか?


私は、

自分のペースでできて、
好きな人とだけ関われて、
マルチタスクよりひとつのことに集中できて、
ガヤガヤしたオフィスより自分だけの空間で働けて、
具体が悪いときは無理せず休めて、
お客様の役に立っていると実感できる

そんな仕事がしたい。


人の多い都心よりも自然の多いのどかな環境で暮らして、
毎朝「今日は何をしよう?」とワクワクした気持ちで目覚めて、
自分のやりたいことに没頭できて、
家族や友人に助けが必要なときは何を置いても駆けつけられる

そんな生活がしたい。


わがままかもしれないけど、
それが私の望む生き方です。

会社に依存せず
自分の力で稼ぐことができるようになれば、
それが叶えられる。

だから私は、ビジネスを始める決意をしました。


あなたはどんな生き方がしたいですか?
それは、今のままで叶えられるでしょうか?

働く場所や時間・付き合う相手・1日の過ごし方
すべて自分でコントロールできるようになったら、
その生き方を叶えられると思いませんか?

それは決して、夢物語ではありません。


もちろん、新しいことを始めるのって
不安もたくさんあると思います。

私も右も左も分からない状態からのスタートだったので、
気持ちはとっても分かります。


このビジネスで成功している人たちは、
私も私の師匠も含めて
ゼロからスタートした人ばかりです。

・工場勤務を辞めて1年で120万を達成した中卒の元サラリーマン
・子ども二人を抱えてフルタイムで働きながら、11ヶ月で月収200万を達成した元看護師
・バイトと学業を両立しながら、4ヶ月で月収300万を達成した女子大生


成功した理由は共通しています。

とにかく知識に投資して、ひたすら学んだから


「できない」と思うのは
単に「知らない」だけ。

逆にいえば、正しい知識を学びさえすれば
誰でも「できる」ようになります。


私は勉強のために、師匠以外からも
教材を買ったり発信を見て学んだりしていますが、
根本の部分ではみんな同じことを言っています。

それは、ビジネスには「型」があるからです。

結局、大事なのは「型」であり「原理原則」です。

それを学んで吸収して
コツコツ実践していけば、
0からでも個人でビジネスをすることは可能です。


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私が400万円のコンサル料を払って
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